【旅行記 vol.3】一人旅のススメ。富士山を仰ぎ見る。


旅行記第3回は私の一人旅記をお伝えします。
人生で一度は経験してみたい一人旅。
いいことばかりでもない一人旅。

一人旅への憧れ

一人旅の体験記の前にまずは憧れから。
私が一人で旅に出てみたいと強く感じたのが高校生3年生の時だったと記憶しています。
当時、群ようこや椎名誠の本をよく読んでいた私は「自分探しの旅」のようなものに強烈に憧れを抱きました。
また落合信彦の「狼たちへの伝言」なんかもよく読んでいたので、時代は動き始めている、とにかく今すぐに動かなくては、という強い衝動に駆られていたような気がします。
-見る前に跳べ-
そんな思いを胸にある休日の朝、一人旅へと出発するのでした。計画もなく。

あても計画もなく

季節は1月か2月の冬の時期。
当時高校三年生だった私は手つかずで残っていたお年玉と文庫本数冊とウォークマンだけをかばんに入れ家を出ました。
泊まりで出かけることは決めていた気がするのですが、着替えの服や下着はなしです。
あまり覚えていませんが、男の一人旅はそういうことに頓着せず思うままに行くもの、と決めつけていたんでしょうね。

ほんとに無計画な旅でしたが、目的だけはしっかりと決めていました。
それは

-日本一の富士山を一目見る。(出来れば登ってみる)-

というもので、いずれ世界を見る前にまずは日本を抑えておこう、と思っていたのでした。
日本一に触れることで自分のスケールも大きくなるはずだ、とも思っていたような記憶が。
(今思えば青いなあ、と思いますが、まあ、高校生ですから・・・。)

当時は今から20数年前。
携帯電話もインターネットもメールもないので、最寄の駅の時刻表を見て河口湖までの路線を調べ切符を購入。
新幹線や特急の存在にあまり詳しくなかったので、確か鈍行を乗り継いでいきました。
朝の早い時間だったのでまあ昼過ぎくらいには着くかな、という甘い見立てと何かが待っている、という淡い期待を胸に抱き・・・。

一人旅の現実を知る


その日は冬にしては暖かい1日で、電車内をやたらと太陽が照りつけていたのを覚えています。
ただそれも朝のうちだけで、電車に乗り、大阪を離れ山間に入っていくにつれ太陽は雲に隠れがちになり、空からは白い雪がちらほらと舞うようになってきました。
このぐらいから自分の見立ての甘さに気づき、今日中に富士山にたどり着くのかと不安になってきていました。
というのもとにかく電車の間隔が長く、数駅乗っては降ろされ待合。すっかり寒くなってきた駅で30分後の電車が来るまでぼーっと過ごす、ということの繰り返し。
最終駅までの切符を買っていたので途中で駅を出ることも出来ず仕舞いだったような。

あと、この旅に出ることは家の誰にも言っていません。
このままで無事たどり着けるのか。ダメだった場合今日中に家に戻れるのかなど不安になってきたのを覚えています。
そのときには特に期待していたようなイベントやアクシデントなどもなくただ電車に乗っているだけの時間に飽きだしてきていました。

やがて世間は夜の帰宅ラッシュになります。
電車は仕事帰りのサラリーマンであふれ、窓から見える景色は真っ暗。
マンションの人工的な明かりが夜の中で煌々と映えているのを見ると妙に心細くなり、知らない土地に一人でいること、ここには知っている人も帰る場所もないという現実が押し寄せテンションがものすごく下がっていたのを今でも覚えています。
そんな気持ちとは裏腹に電車は動き続けます。
やがて終着駅に着き駅を出ますがそこは山間に溶け込む小さな駅で、コンビニもなければホテルもなく急場をしのげるようなファミレスも漫画喫茶もありません。
目的も行く先も何もないままとにかく明かりの多いほうへとトボトボと夜道を一人で散策。
寒さも本格化し、体力も気力もなくただ歩くだけ。そんな私に追い打ちをかけるように巡回中の警察に呼び止められ、職務質問されるというアクシデント。
一人旅で富士山を見に来た、でも泊まるところもなくかばんの中にもなにもない。身分証明のようなものもないので住所や学校名を伝えなんとか解放されましたが、かなりの不審者に見えたことかと思います。もうそのころには日付が変わっていましたし・・・。

もういい加減歩き疲れた私はとにかく横になって、できれば眠れる場所を探すことにし、湖らしきところに向かいます。
ちょうど手ごろな公園がありベンチに横になりますが、冬の夜中に大した防寒もしていないので眠れるわけもありません。
ウタウタとしても寒さで目が覚める、ということを繰り返す状態。
もうとても眠れる状態ではないと思い、あたりを散策すると幸運にもコンビニが1軒だけ営業していたので、食料とあったかい飲料、それと防寒に有効と聞いていたので新聞を何紙か購入。服の間に新聞紙を巻き込み暖を取りながら一夜をしのいだのでした。
もうこのころになると一人旅に対するあこがれやら幻想やらは何もなく、ただただ辛い時間でした。

話は前後しますが、確かこの前には家に電話していた記憶があります。
勝手に飛び出したことに対する叱りもあったとは思うのですが、呆れられたことを鮮明に覚えています。

一応クライマックスありました

そんな辛い初日を無事?過ごしたわけですが、一人旅のクライマックスは予期していない場面で訪れました。
なんとか朝を迎え空が明るみだしたその時、今まで見えていなかった富士山が見えたのです。夜中の徘徊でかなり近くまで歩いていたようで思わず息を呑んでしまう迫力、スケールの富士山を見ることができたのです。テレビや写真では伝わらない存在感を感じ、これが日本一かあ、と一人にやにやしながら富士山を見上げていました。
当時はデジカメも写メもありません。インスタントカメラで何枚も写真を撮ったのですが、あの夜明けに感じた迫力は表現できていませんでした。

その後は近くにある国民宿舎に宿をとり、朝からチェックインさせてもらい泥のように丸一日眠り続け、次の日に来た道を鈍行で戻るというだけの作業のような旅をこなし、無事家に帰ることができたのでした。

最終的には2泊3日になり時間も十分にあったのにどこかを巡ることもなく、今思えばかなり効率の悪い旅だとは思います。
ただ、20数年経った今でもあの夜の寒さや心細さ、不安、そして朝焼けの富士山は忘れることのない大事な思い出になっています。
旅行としての収穫はほぼゼロでしたが、若いころのいい思い出として大切にしていきたいと思っています。


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