マリー号

小ネタで息抜き。vol.4 「今もさまようマリー・セレスト号の謎」

ジャンル問わずの小ネタ・小話を紹介する記事です。

まだまだ世界は謎で溢れている

現代科学は進歩の一途をたどり、月への旅行が現実味を帯びてきたり、数千年前の遺体から当時の食生活や故人の持病までも推測されるようになっています。

しかし飛躍的に進歩した現代の科学でも解明しきれない謎がまだまだ残されています。
今回はその中でも有名な「マリー・セレスト号」を取り上げます。

概要

時代は1872年。ポルトガル沖を航行していたデイ・グラツィア号の船長 モアハウスは1隻の船が漂流しているのを発見。

マリー号
(参照:wikipediaより)

この船が後世大きな謎として世界に名を残すこととなるマリー・セレスト号であるが、遭難信号も出していないし、外観から異常も見て取れない。

不審に思った船長はボートを出し船内に乗り込んでみたところ、船内に異常はなく、朝食で出されていたと思われるコーヒーはまだほんのり温かく、まるでさきほどまで人が普通に乗船していた様子が残っていた。

積荷であるアルコールの入った樽も良好な状態で、唯一救命ボートが残っていないことを除いてはいつも通りの風景。
ここ数日は天候も良好で、船には燃料も十分に積まれており何ひとつ問題はないように見える。

・・・ただ、人が誰一人乗っていないことと船内に残された航海日誌の最後に「我が妻マリーが・・・」と書かれて終わっていることを除いては。

そして未解決事件へ

マリー・セレスト号の乗員はボートを使用していること、船内にはぬるいコーヒーが残っていたことからそれほど遠くへは行っていないだろう、という楽観的な観測のもと周囲の探索が行われたがマリー・セレスト号の乗員はおろか手がかりとなるものすらまったく見つからなかった。
結局船長を含んだ乗員11名は見つからないまま捜索は終了。「マリー・セレスト号事件」として歴史に名を残すことになるのであった。

マリー・セレスト号の謎

この事件が起こった当時から
マリー・セレスト号でそのとき何が起こったのか?
乗員はその後どうなったのか?
航海日誌の最後、「我が妻マリーが・・・」は何を意味しているのか?
といった謎が人々の関心を買い、様々な説が出されました。

積荷のアルコールが爆発すると懸念した船長が避難を指示、その後ボートが波にさらわれ船に戻れなくなったのではないか?

乗員と船長の間で問題が生じ、暴動が行ったのではないか?もしくは海賊に襲われたのではないか?
・・・
などある程度現実的なものから、

なんらかの超常現象に巻き込まれたのではないか?
大ダコに襲われたのでは?


(参照:blogs.c.yimg.jp)
保険金目当てに事実をでっち曲げているのではないか?

食料に含まれていた麦角菌に乗員が汚染され、幻覚作用で発狂したのではないか?

マリー号2
(参照:http://enigma-calender.blogspot.com/2013/12/mary-celeste.html)

などかなり突飛な説までが飛び交い、「マリー・セレスト号」は当時から聞く者の好奇心を煽る事件として次第に有名になっていった・・・。

そして現在へ・・・

以上がこの事件のあらましとなりますが、150年近く経った現在でもはっきりとした答えはわかっていません。その後に近くの海岸でそれらしい遺体が打ち上げられたという報告もありませんし、当然大ダコの目撃例なんてものも出てきていません。

今現在でも謎に包まれたままです。

ただし、上記のエピソードには事実誤認があることが当時の裁判資料や保険会社の資料から明らかになっています。
–コーヒーなどは残っていなかった
–実際に発見されたのは10日後だった
–船長の妻は「マリー」ではなく「サラ」であった
ことは明確なようです。

つまりこれらエピソードの一部は事件を知った人たちの間で事件自体が面白おかしく、より不気味に興味を引くように脚色されていったようです。

話に背びれ尾びれが付いていくのは今も昔も同じ、ということですね。

とはいえこの事件について謎が残っていることには変わりありません。

一隻の船の漂流から始まった謎は150年経った今でも海の上を日夜漂い続けているのです。


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